ハルノート

6歳からピアノを始めた娘の学習記録

ピアノ教室を卒業?

先日、かれこれ5年間もお世話になっていたピアノ教室を退会しました。

とても凄腕の先生で、何人もの生徒を全国大会に送り込んでいる実績をお持ちでした。うちの娘のようにそれほどやる気のない生徒でも、どうすれば音楽が今後の人生で娘のためになるかを考えてくれる良い先生でした。

退会理由は娘のモチベーションが教室のレベルと合っていない、と感じていることでした。

娘のやる気 < 教室のレベル

特にここ2年ほど常にこのような状態を感じていました。これは教室の問題ではなく、受ける側のやる気の問題でした。

何度か動機づけのようなものを行いましたが、これらが改善されることはありませんでした。そもそもこういったものは他人(親も含め)に強制された時点で反発が起こるものです。

とはいえ普通にピアノを楽しむことは出来ていました。

また親としても、好きなものを自分で選んで弾くことが出来る、というレベルに達したところで目的は達成されたようなところがありました。

ということで今後は、好きな曲の楽譜を手に入れてあげたり、本当に自分が興味を持った曲を弾いていくような家庭学習の形で続けていきたいと思います。

先生、本当にお世話になりました。

 

ついに自発的にピアノを・・・!

ここ数ヶ月、私はピアノに関して一切口を出していない。

言わなくてするようになったからだ。

秋の音楽祭を終えた頃から少しずつピアノの練習時間が増えてきた。どうやらピアノに対しての自信を持ち始めたようにも見える。

先日は「エリーゼのために」を引きたいから楽譜がほしいと言い出した。楽譜を手に入れると少しずつ弾いたり、Youtubeで誰かが弾いているのを見たりするようになった。

弾いている曲も難しく、私が見ても全くわからなくなった。

楽譜の読み方を必死にネットで調べ、先生面して教えてた頃が懐かしい。

寂しいような気持ちもするが、
目指していた自発的にピアノを楽しむというゴールに近いのだろう。

ここから先は自分で道を作っていってほしいものだ。

成長したなぁ

6歳からピアノを始めた娘もいつの間にか11歳。

最近、ピアノの先生のところで一生懸命弾いている姿を見てジーンとくる。

5年前、何も知らない状態で電子ピアノを買い、楽譜の読み方をネットで調べて娘に教えていた頃からすると、とてつもなく上達してるな・・・と。

親としてこの成長を感じることは何より嬉しい。

にもかかわらずもっと真剣になってほしい、などと考えている。
これほど成長してるのに、元気に生きてるだけで感謝すべきなのにね。

秋の音楽祭

秋に開かれる小学校の音楽祭でピアノを弾けることになって喜んでいた。
運良く参加者が少なかったようで2番手に選ばれた。割り当てられた曲は結構きれいなメロディーの曲で、気持ちよさそうに日々練習している。

もうこのレベルになると、私は「なんとなくメロディーが違うのでは?」といった程度のことしか口出しできない。だから練習も完全に放任している。そして放任できることが嬉しい。

今後について

ピアノはもともと女の子と定番の習い事だから・・・みたいなノリで始めた。娘と同じ教室に通っている子たちはコンクールで全国に出るようなレベルの子までいる。そんな中でも比較的マイペースで成長してきたと思う。

娘が楽しんでいるかどうか、その一点のみで考えると不安になることがある。本当に楽しんでるのだろうか?大きくなって振り返ったとき、小さい頃のピアノは良い思い出として残るだろうか?正直言ってわからない。

親として出来るのは環境を整えることだけ。自発性が全て。
ただその自発性に乏しいんだよなぁ… (^_^;)

自走できるようになってきた...かも

最近の娘は、ほぼ一人で楽譜読んで練習している。

練習に口を出すと機嫌が悪くなるようになったというのも関係あるが、自分で練習して発表会やコンクールでうまく行かなかったとしても、それは本人の責任ということで納得しているようだ。

親としてピアノについてはある程度技術が身についたので、あとはより楽しむ方向に向かってくれたらいいのではないかと思う。

このブログの最初のころを読み返してみると、凄まじく成長してることがよく分かる。そういった過去の自分との差をビデオなどを通して伝えてあげると本人も成長を感じて喜ぶ。そしてより一層成長したいと励むようになる。

コンクールなどではどうしても他人と比較してしまいがちだが、本当に比較すべきは過去の自分であり、昨日より今日が一歩でも前に進んでいるのであれば良い。

ピティナ2017

今年のB級予選に出場した。

今の娘にはとても弾けそうにない曲を頑張って練習してきた結果、なんとか弾きこなせるようになり、本番でも100%の力を出し切った。ほぼ失敗なくきっちり弾けていたと思う。

結果は残念ながら奨励賞にも引っかからないものだった。

ピアノの先生が仰るには現代とかロマンとかいう時代ごとに決まった弾き方をしないと駄目で、親としてそのことを理解して教えてあげられるようにならないと受かるのは難しいらしい。

対策としては、CDをしっかり聞いて違いを確かめましょう、とのこと。

早速家に帰って違いを確かめようとCDを聞いて、娘の録音した演奏との違いを確かめようとしたが、よくわからない。真剣に聞いてもよくわからないのだ。

正直、この先どの方向へ導いてやれば良いのかわからない。

ただしこれはコンクールに限った話なので、もうすこし簡単な発表会レベルのものに出るように切り替えたほうが良いのかもしれない。

まぁ娘は納得しないだろうけど。

 

ピティナ終了\(^o^)/

今年のピティナが終わった。

本戦に2回出場するチャンスがあったが、奨励賞すらもらえないという残念な結果だった。

モチベーションの低下

本戦に向けての練習時間は、予選に比べ明らかに少なく質も低かった。本人からは受かってやるぞという意気込みも感じられなかった。だから娘は奨励賞に入っていない、という結果を受けて泣くこともなかった。泣けるほど練習もしていなかったということになる。

予選通過した時点でやる気を失っていたのは子供だけではない。親としてどのようにモチベーションを上げていくか、本戦で勝つための指導を怠っていた。ただ練習しろ、としか言っていない。それで練習できるなら誰も苦労はしないのだ。

我が家では去年の雪辱を果たしたことで、どこか「もうやることはやった」という空気が漂っていた。それは娘も当然感じていたことだろう。

親としての指導能力不足

楽譜をコピーし、譜面上にメモをとるということすら私にはできていない。ただレッスン動画を録画し、家で何度か見せるだけである。私自身が理解できていないので、どう弾けばよいか全く指導できない。

予選を通過して喜んで終わるのであれば今のままでいいのだろう。しかし、ここから先へ進むためには親の音楽へのさらなる知識が要求される。もう少し娘が大きくなれば、今後の練習法を自分で考えるようになるかもしれない。しかしそれは当分先のことだろう。

「モチベーション」と「親としての指導能力」の二つが当面の課題になる。

来年になってまたピティナが始まるとき、これを読み返して、このことを思い出したい。

二度目のピティナ予選

再び優秀賞でした。

正直言って、今回はあまりの練習時間の少なさや、やる気の無さを見て「こりゃ、無理だな…」と思っていたのですが、どういうわけか通過してしまいました。

本番前の練習ではミスも多かったり、ふざけたりしてたのに本番ではきっちりとミスしない演奏ができるのは驚いた。

身近にいるから気づきにくいけどしっかり成長しているんだなと痛感。

今回の通過も前回同様、もちろん嬉しいことではある。が、本戦にかかる時間や出費のことを考えると少しため息が出るぞ。

ちょっと高すぎないかいピティナ。ピアノのことを勉強し始めて2年ほどだけど、DVDで5千円取ったりプログラム表が有料だったりと、この世界の常識にはいまだに驚かされる。

そんな大人の事情は置いといて、一ヶ月には本戦だ。

その時までやる気を維持してくれればいいが、どうなることやら。

再び飴と鞭を繰り返しうまく手綱をとっていかねばならないのだろうね。